昨年来、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症によって、誰もが意気消沈している中。ワクチン接種や人口抗体をはじめとする治療薬の投与が希望の光を僅かながらも放ち始めているように見えます。しかし、道はまだ半ば、私たちは習慣化したマスク着用や手洗いをさらに続け、三密を避けるなどして、感染を徹底的に抑え込む覚悟が必要です。
また、その覚悟こそが沈静化の最も近道であろうと思っています。この新型コロナウイルスによる傷は人間の体、とりわけ健康を脅かすばかりではなく、人同士の交流を断ち経済の円滑な循環などを鈍らせ、深い傷を負わせています。私たちはこれに屈するわけにはいきません。身体の元気はもちろん、心の元気もパワーアップさせ、みんなで乗り越え明るい未来を掴むのです。
そんな思いから『八木山から元気を届ける会』では、長年ラジオパーソナリティとしても活躍するシンガーソングライター、亜KIRAさんに八木山の魅力を再発見し、八木山から世界に元気を届けようという趣旨に賛同いただき、楽曲を提供いただきました。これがCDを制作するに至る経過です。
そのタイトルは『八木山からおはようさん!』といって、この八木山に一万人規模の動員可能な野球場があった1934年11月9日の出来事。すなわち、野球の神様と謳われたベーブルースが、この八木山で劇的な2本のホームランを放ったという歴史的事実が、観衆を歓喜させ、さらには現代までもホームランのアーチを描いているのではないか。そしてその時、人々の心に訴えたものは「希望の力で世界を満たすこと」…だったのではないかと。
そして現代、コロナ禍に苦しむ人々の心に一体感をもって寄り添う事が出来たなら「みんなで苦難を乗り越え未来を掴むことがきっと出来る」。そんな願いと決心が込められた元気いっぱいの楽曲を、この八木山から世の中に届けたいと思います。町の持つ魅力と誇りを取り戻し、八木山から放った輪が大きな絆へと発展する事を願ってやみません。
八木山から元気を届ける会
宮城個人史図書館内
982-0835仙台市太白区桜木町23-7
会 長 山口 茂
副会長 いのまた由美
八木山とベーブルース 参考資料
大正7年、8年、9年、10年流行性感冒(スペイン風邪)猛威を振るう。同時期、国民病といわれる結核での死亡者が年々増加。仙台の実業家八木久兵衛(四代目)は、仙台商業会議所会頭を辞任し貴族院議員に就任(大正7年)。当時の流行性感冒や国民病等に関心を持ち、越路山を健康保全の候補地とした。しかし取得までに至らず大正12年11月死去。五代目八木久兵衛は四代目の遺志を継いで越路山を取得し、大正15年より健康増進のための開発を行う。その頃より越路山一帯は八木山と呼ばれ、運動施設、遊園地、公園等々が整備される。中でも東洋一の野球場を作り、一般に開放すれば体育奨励と四代目が念願していた健康保全の場に活用できるという趣旨で、五代目八木久兵衛によって昭和2年から収容人員1万人規模の野球場が建設され昭和4年に完成。野球場開きには東北各地から2万3千人が押し掛けた。その後昭和6年に日米野球大会、昭和9年にベーブルースが二本のホームランを打つなどしている。